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所在不明高齢者の裏側にみえるもの

数日前111歳の高齢者が遺体で見つかったというニュースが流れていました。警察の調べではこの高齢者の遺体は死後数十年と経っており、市の職員が訪れた際も家族が「寝ています」と言って応対し、本人に会わせて貰えなかったのだとか…俺はこのニュースを聞いたとき「ふうん」で終わらすことが出来ませんでした。自分たちの近所に住んでいたはずの高齢者の姿を見かけなくなって、近所の人たちはどういう不審も持たないのか、さらに市職員の人たちは高齢者ご本人の生死も不明なまま、何も調べずにお祝いなり、贈り物なり、年金の支給をしていたのか…信じられない話ですが、このニュースが本当ならそういうことになりますね。
 しかもこんな異常なことはこの一件だけではないようです。この事件を皮切りに全国で行方のわからない高齢者に関する報道が流れ、ひどい例としては高齢者の住所として記録されていた場所自体が更地になっていた等という報道もありました。一体どうなってるのか、もう訳がわかりません。
 こんな報道を聞いて俺の頭に去来するのは、『孤独死』や『自殺者』です。上の高齢者の例がわかりやすいんじゃないかと思いますが、例え自分が命を落とした状態であっても近所の人に気づいてもらえない、住民の生活を守るべき市や行政もはっきりと高齢者の生活を把握しておらず、死んだことすら気づいていない、だから死に目に立ち会って泣いてくれる人もいない。どこで、誰が、どんな風に苦しんだり泣いたりしていようと手を差し伸べてくれる人はもちろん、声すらかけてもらえない。そんなバラバラで空虚で孤立した世界が見えてきます。そこにあるのは孤立や孤独に満ちた冷たく、暖かみの無い世界です。
 そしてそれは、恐らく高齢者に限ったことではなく、私たちのだれもが陥る可能性のある事態かもしれません。そんな状態でリストラやいじめやにあったり、大怪我をしたり大病にかかったとしてもそのことごとくを全て自分一人でで解決しないといけないとすれば…そこには途方も無い修羅の道が待っています。
 例え何か自分の身の周りで不幸な出来事や悲しい事態や出来事があったとしても自分の側に協力者や愚痴をこぼせる人、「元気か?」と声を掛けてくれる人がいれば…もっと明確に書いてしまえば、どこかの誰かと今の自分が繋がっているということが実感できさえすれば、それが問題自体の直接の解決策にならなくてもそう思えるだけで少し元気になれたりしませんか?
 これは俺の想像ですが、自殺者や孤独死でなくなっていく人の中にはこういった周りの人たちとの関係を実感できていない人たち、又は人間関係自体が作れていない人たちが多いのではないでしょうか?文明が豊かになる一方で個人の孤立化が進み、人間同士が肌と肌で触れ合う機会が減る、そうすると本当に困ったときに助けてくれる人もおらず、自分だけがその場所においていかれた必要の無い人間ような虚無感を感じてこの世界に絶望して死んでしまう。こんな心境は俺にも解らなくもありません。
 ただこのようなことが実際に起こっても行政その他近隣住民が普段と何も変わらないような生活を送っていたことは事実であるし、そのことについては驚きと同時に背筋が冷たくなるような恐怖やこの国自体の歪みを感じます。
 政府は『日本を元気にするのは経済対策だ』等といっていますが本当に日本が抱える問題はそれだけでしょうか?機能しない行政、自分の事に手一杯で他者への干渉をしない人たち、近所の人の動向すら解らない様な近隣住民との関係、わが子を痣だらけにしながら
「躾です。家の事に構わないでください」
 という親たち……経済対策以前にこの国の社会構造そのものが壊れてきているような気がします。今日は何だかうまく書けずにごめんなさい。
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