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コンピューター社会?

おはようございます。
 最近、漢字が書けなくなっています。
それは手の機能がおちて書けなくなっているということでも漢字を習わなかったために字を知らないわけでもなく、漢字の細部が明確に思い出せないという意味においてです。
しかし、何かが書いてあればそれを読むことは大抵可能です。
なぜかと問われれば、なんとなく文字の輪郭や形が頭に入っていて、一見すればその字や言葉が読めてしまうからです。
 パソコンや、携帯電話を持つようになってから、自分で実際に『字を書く』という習慣がほとんどなくなっています。ですので字が書けなくなるのは当たり前です。
 このようなことは筆記に限った事はありません。皆さんの周囲を見渡してみてください。
パソコン、携帯電話、オートロックシステム、カーナビ、電子広告、計算機・・・・・・かつては人間自ら行っていた行為のほとんどを代行してくれる機械があるはずです。
これらは確かに使い勝手がいいと思います。携帯電話が一台あれば、いつでも見知った誰かと連絡をとることが出来ますし、レンタルビデオなんかもパソコンで注文できるようです。
そしてオートロックなら鍵をかけ忘れる心配がありません。これらはうまく使えばかなり便利なものですから否定するつもりはありません。
 しかし、それらの機械が人間の代わりにいろいろなことを代行するようになって人間が本来持っていた人間同士の関わりが希薄になってきているように思います。
そんなことを一番感じるのが年賀状です。
毎年由良家では年賀状をパソコンに内蔵されたソフトで書いて相手に対して送るわけですが、同じソフトから印刷される字はきれいな代わりに字体も内容もすべて同じです。
ですからこんな年賀状を出す意味があるのか、と時々思います。仮に出した年賀状がどれだけ汚い字であっても、その字にはその人の味が出るし、自分のためにわざわざ手間をかけて年賀状を書いてくれるような人物なら大なり小なりその人物に対して愛着がわくはずです。
 昨今、相手の人とうまく対話が出来ないとか、集団生活になじめないとか、孤独死が増えているとよく聞きます。そういった原因の全てが機械やコンピューターのせいだとはいいません。しかし機械が発達していくにつれて人間同士で心のの温かみに触れるような時間は減少しているような気がします。そしてそのことでどこかに虚無感を感じている人や他人とうまく関係のもてない人が多いのかもしれません。
 このまま機械が進歩を続ければ人間はいつか必要とされなくなるような気がすると思うとゾッとします。介護用ロボットに介護されたって嬉しくありませんよね?
 いろんな物がどんどんと電子化されていく今日この頃、俺の頭にはそんな心配事が浮かんできます。
(だいぶ前にも似たようなことを書いた気がするのですが、ダブっていたらごめんなさい。)
 

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