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真実は何処に…

 
本日は祝日だと言うのに、朝から断続的に雨が降り続いていますね。
『いつもの休日』であればお昼前後から外出しようかと思うのですが、この天候ではそれは叶わず、家でじっと過ごす事になりそうです。
 そんな日にテレビをつけると放送しているのはイチロー選手の十年連続二百本安打の話か、エリート検事の証拠改ざん事件の話しかやっていません。
 こういった事件を見ていて俺の頭をよぎるのは裁判員制度のことです。この制度については自分としては開始以前から反対でした。何故ならこちらの都合に関係なく、突然書類が届く上に、何か特別な事情が無い限り、呼び出しを断れない上に、実際に罪を犯した人と対面し、裁判官や裁判員と共に死刑を含めた何らかの判断を、しかも短期間で結論を出さなければならないからです。しかも判断の材料となるのはその時点で裁判の証拠として提出されているものだけです。そしてその証拠について慎重に判断するためには、それがどんなに残酷なものであっても目を背けることはできません。さらに書くのであれば、ある量刑が決定されてもそれが被告側の視点から考えれば重く感じ、被害者側の視点で考えれば軽く感じることもあると思います。そう考えると一つの量刑を考えるにしても、それが本当に正しかったのか、間違っていたのかという判断は大変難しいと思います。
 この制度が始まってから取り調べの方法や冤罪事件などの話題が頻繁に取り上げられるようになりましたが、実際その当時事件現場で何があったのか、その事件に対してどんな操作が行われて、どんな人が、どういう理由でどんな取調べを受けたのか、ということはその場にいた当人たちにしか知りようが無いし、裁判の場に提出する証拠を検事が隠ぺいしたり改ざんしたり出来るとすれば、何を信じていいのか解りません。実際被告にしても本当のことを供述しているのか、罪を逃れるために演技をしているのか、結局は何処に真相があるのかはっきりいって解りづらい部分が多いと思います。下手をすれば有罪の人を無罪にし、また無罪の人を有罪にしてしまう危険性が常にあると考えられます。
 以上のようなことを考えると裁判員を一般の人が務めるというのは重い責任と重圧を背負う事になるし、裁判が終わった後もかなり心理的な負担を持ち続ける恐れもあるので、出来ることなら俺はこんな制度には反対であるし、裁判員になどはなりたくありません。
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