将棋の起源
おはようございます。長らく更新の途絶えた『由良日記』の2014年初更新です。前回更新した『由良日記』のタイトルが、確か、『秋のお勧めアニメ』だったような・・・今日こそ『由良日記』の更新をと思いつつ、結局は更新が出来ず、季節は秋から冬、そして年が明けて、春へ・・・と随分時間が経ってしまいましたが、久々の『『由良日記』にお付き合いください。
さて、それでは今日はどんなことを書こうかと考えましたが、以前からゲームの起原について書いていたので、今日もその路線で行こうと思います。
今日は『将棋の起原』についてです。下記に記事を抜粋しておきます。
『将棋の起原』
将棋の起源は、紀元前の古代インドで発明された「チャトランガ」という盤上遊戯であると言われています。チャトランガは8×8=64マスの盤面で王・象・馬・車・兵の五種の駒で行うゲームで、「四人制」「サイコロの数に応じて駒を動かす」など独自のルールを備えていたことが分かっています。
その後二人制のゲームとしてルールが変更されたチャトランガが輸出され、チェスや将棋の原型になっていったようです。
『日本への伝来』
将棋が日本に伝来した時期は未だはっきりしていません。「遣唐使として派遣された吉備真備が持ち帰った」と言う説が昔から根強く、囲碁が伝来したとされる奈良時代の前後であることは間違いないようです。ともあれ日本に最初に伝わった将棋は中国を経由したもので、中国・朝鮮・東南アジアで発展したチャトランガであるというのが定説となっています。
『日本国内での発展』
日本伝来後の将棋は、平安時代に大きく発展し独自性を持っていくことになります。平安時代に発明されたのが8×8マスまたは9×9マスの「平安将棋」、13×13マスの「平安大将棋」です。平安将棋は現在の本将棋の原型である小将棋、平安大将棋は大将棋・天竺大将棋・摩訶大大将棋・大局将棋…と大盤面を使う将棋のルーツになっていきます。
将棋独自のルールである「持ち駒」は11世紀から15世紀の間に発明されたものと言われており、チェスなどのチャトランガをルーツとする盤上将棋とは全く別個の進化を遂げていったことが浮き彫りになります。
『江戸時代の将棋』
江戸時代に入ると将棋は囲碁と共に徳川幕府からの手厚い保護を受けることになります。「将棋所」「囲碁所」と呼ばれる家元制が導入され、名人たちは年1回の江戸城内での御前試合である「御城将棋」で対局するという形で幕府から俸禄を貰っていたのです。
国家単位での保護を受けた将棋と囲碁は急速な発展を遂げ、現代に残る定番の戦法やルールの整備などが進展していきます。
『明治以降の将棋』
明治政府樹立によって将棋所をはじめとする徳川幕府からの保護が受けられなくなり、棋士が将棋だけで生活することは難しくなっていきます。そのため、棋士は合同で連盟を設立し新聞社との提携を模索するなどして、現代の将棋界の運営形態を確立させていくことに繋がっていったのです。
(http://shogi1banboshi.jp/a01history.html)
こんな感じですね。確かにチェスも将棋もはルール上類似する点がたくさんありますね。