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オセロゲームの起源

 皆さん、元気でしたか?『由良日記』の更新です。
最近は色々なゲームの起源をこのブログ上に書いていますが、
皆さんはどんなゲームが得意ですか?
由良本人は『頭を使うゲーム』というのが苦手です。
具体的には、将棋や囲碁、パズルゲーム等です。
駆け引きや読み合いのゲームになると何を考えて、
どう対処すればいいのか解らなくなります。
しかし、そういった『頭を使うゲーム』の中で唯一
まともに遊べるのが『オセロゲーム』です。
今日はそんな『オセロゲーム』の起源を紹介します。

 

 オセロゲームの起源と歴史

 

 これは発明者の長谷川五郎さんが、中学時代、
戦後の物がない時代に学校の休み時間に、牛乳のふたを使って、
皆が簡単に遊べるゲームとして考案。
その後、長谷川さんは製薬会社に就職。

 

 ある日、担当する病院の医局長にオセロゲームを見せ、
プレイしてみると「このゲームは頭と手と指を使い対話も
生まれる。社会復帰を目指す患者のリハビリに最適。
何よりも華がある」と言われたことがきっかけとなり、
1972年、当時のツクダオリジナルの佃社長と面会。
通常、玩具の契約期間は
1年といわれている中で破格の
10年契約を結びました。


 発売後、瞬く間にオセロは、日本中でブームとなり、
わずか数年で日本国内
2500万人がオセロで遊びました。

http://www.tbs.co.jp/newsbird/lineup/tsukio/dr_tsukio20101203.html

 

 もっと詳しく知りたい人は『日本オセロ連盟』の
『オセロの歴史』というリンクに飛んでみてください。
下記に掲載しておきます。

 

 (http://search.jword.jp/cns.dll?type=lk&fm=109&agent=9&partner=BIGLOBE&name=%C6%FC%CB%DC%A5%AA%A5%BB%A5%ED%CF%A2%CC%C1&lang=euc&prop=500&bypass=3&dispconfig=&tblattr=1
(←『日本オセロ連盟』の『オセロの歴史』HP)

 

 上のアドレスの歴史…相当長いです。
勇気があるなら読んでみてください。
そこにも書かれていますが、オセロゲーム自体の誕生は意外と最近で、
そのルールは囲碁をヒントにして作られたようです。

 

 今日においては、ボードゲームの定番といえば将棋か
オセロですよね!?そんなゲームを開発したのが日本人である事を
嬉しく思います。






 

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野球の起源!?

こんにちは。『由良日記』の更新です。
いやー、それにしても昨日は暑かった!幾ら寒暖の差が激しくて
も、これじゃあ体調を崩しかねません。しかも日替わりで温度が
変化するならまだしも、昨日の朝なんかは寒いくらいだったのに、
昼間は初夏並みの温度まで急上昇!どんな服装をすればいいのか、
迷っている人も多いのでは…

 

 さて、今日は『ゲームの起源』第3弾です。第2弾は?
と思っている人、第2弾の『綱引き』は未だに手持ちのUSB
の中です。この記事をブログ上で掲載するときについでに第2弾の
掲載も頼んでおきます(笑)

 

 さて、第3弾の話に移ろうと思います。今日は『野球の起源』です。
この話にも諸説あり、東京新聞には『野球起源は日本だった』等
とも書かれているようですが、元ネタが新聞からきている分、
その内容を勝手に掲載したらまずいような気もします。
(東京新聞は取っておらず、俺が見た記事もインターネットに
掲載しているものなので)そんな訳でこの記事には触れませんが、
別のHPに掲載されていた別の『野球の起源』話ならいつもの
ようにURLを載れば大丈夫でしょう(フツーに誰でも見る事の
できるHPみたいですから)

 

 野球の起源

 

 最も最初に現在の野球に近い形が出来たのは中世。
12世紀頃に英国で行われていた『ラウンダース』というゲーム
が良く似ている。

 

  ルールは靴下などに小石をつめたボールを投げて、
相手が船の艪などバット状の物で打ち返して石や杭で示された
4つのベースを回る、と言うものである。

 

  その後野手が付くようになり、ボールを取った野手が打者に
球を当てればアウト、などといったルールになった頃、
この競技は『タウンボール』と呼ばれている。

 

  アウトの概念や、打者がベースを4つ回ったら得点、
など現在のルールに近いものになっているが、元々はただ
打って楽しむだけのスポーツだったようである。

 

 『タウンボール』のルール

 

 この『タウンボール』が英国系移民によってアメリカ
にもたらされ、1800年代半ばに野球として原型が
作られる事になる。

 

  1845年、ニューヨーク・マンハッタン在住の
アレキサンダー・カートライトという男性が、自ら創設した
ボランティア消防団の結束と運動不足の解消に『タウンボール』
を行うことを考えた。

 

  しかし明確なルールのないこのスポーツではいちいち試合前
にルールを決めるのがわずらわしかったため、統一ルールを
考案した。

 

  この際のルールで、攻撃、守備側とも9名ずつ、フィールド
をひし形とする、3アウトで攻守交替、など現在のルールに
近いものが作られている。

 

  また、この頃は打球をノーバウンド、『またはワンバウンド
捕球』でアウト、21点を先取したチームの勝ち、など現在とは
異なるルールもある。

 

  これがその後徐々ルールが改正されて現在の『ベースボール』
に近付くが、特に面白い点を数点上げてみよう。

 

  ①21点先制したチームの勝ち→9回終了時に得点が多い方
の勝ち。これは比較的早い段階で変更された様子である。

 

  ②当初、投手は下手投げのみで、その上打者はコースの指定
が出来た。これが徐々に横手解禁、上手解禁となり、それまでに
40年ほど掛かったようである。

 

  ③ストライク、ボールは当初無く、空振りは3回でアウト
だったが、見逃しはノーカウントとされていた。

   これが見逃しはストライク、真ん中付近以外はボールと
カウントを取るようになり、当初は3ストライクでアウト、
9ボールで一塁とされていた。

   これが時を負うごとにボール数が減ってゆく。最終的に
1889年、4ボールで一塁のルールになった。

   また、その2年前に打者が投手にコースを指定できなく
なり、死球の概念も生まれている。

http://homepage3.nifty.com/ts_factory/yakyuubeya/etc/kiji_01.htm

 

 う~ん、このHPを作った人、慌てて書いたのか少し文章が
変になっているところがあるようですが…HPからの抜粋なので、
敢えてそのままにしておきます。

 

 しかし、『21点ルール』や『打者のコース指定』等、
今の野球にないような面白いルールが幾つかあって、
実際に見て見たい気もします。






綱引き

 皆さん元気でしたか?『由良日記』の更新です。
俺は数日前から体調を崩してピースフルリンクを休んでいます。
なかなか状態が良くならないので、昨日病院に行ってきたら、
病院の先生から風邪のひき始めかもしれないと言われました。
そんな訳でここ暫くは自宅で寝たり起きたりを繰り返しながら
静養しています。今日は体調が少しましになったので、こうして
パソコンの画面に向き合っています。

 

 さて、今回の『由良日記』のテーマは『綱引き』です。
運動会ではもはや定番!?の競技ですし、子供から大人まで一度は
経験した事があるはずです。下記にまとめてみます。

 

 『綱引き』のルーツ

 

「綱を引く」という行事は、世界の各地で古代より儀式と信仰か
ら始まり、豊作を祈る行事、争いを鎮める手段、領土を獲得する
ためのものなど、世界各地でさまざまな形態として見ることがで
きる。

 

 最も古いものはビルマ、インド、ボルネオ、朝鮮といった
アジアの国々や、ハワイ、ニューギニアといった国で見られ、そこ
では有史以前から神秘的な力の象徴として、葬儀での善と悪の闘い、
季節と天気の占い、すなわち豊作を祈っての神事として部落の間で
行われていた。日本での「綱引き」の歴史も古く、アジア諸国と
同様、五穀豊穣や吉凶を占う儀式として各地で行われており、
秋田県の「刈和野大綱引」、佐賀県の「呼子大綱引」、鹿児島県の
「川内大綱引」、沖縄県の「与那原大綱引」など、いずれも豊作、
豊漁を占う催事として行われている。

 

競技としての『綱引き』

 

 競技(ゲーム)として行われたものとしては、飛鳥・奈良時代
の蹴鞠、打毬、投壺といった貴族の遊戯に端を発し、鎌倉・室町
時代に入って庶民の遊戯が盛んとなり、首引き、指引き、腕押し
などとともに遊戯として「綱引き」が行われるようになった。

 

現在では、「綱引き」はもはや儀式とは関係なく純粋な運動競技
として発展しているが、「綱引き」がスポーツ(ゲーム)として
最も古く行われたのは、紀元前2500年もの昔に遡り、エジプト
のサッカラの古墳の壁に彫られているものが発見されている。

 

 日本の『綱引き』競技

 

 日本でのスポーツとしての「綱引き」は、明治以降国内各地で
行われるようになった運動会の普及とともに、その種目として現在
まで広く行われており、明治13年には明治天皇が吹上御所で
近衛兵による「綱引き」をご覧になったということが、明治天皇
行幸年表に記録されている。

 

 現在の競技スポーツとしての「綱引き」は、1980年に日本
綱引連盟が結成され、国際連盟の正式ルールによる綱引競技を取り
入れ、1981年2月、東京在住の県人会を中心に第1回全日本
綱引選手権大会として、東京・晴海の国際貿易センターで開催さ
れた。

その後、毎年全日本綱引選手権大会を開催し、テレビ放映の
影響もあって僅かの期間に急速に普及した。

http://www.tugofwar.jp/tughis.html

 

 上記の文面はHPの一部を抜粋したものです。綱引きって
元々は、願掛けだったり、その時々の運命を占う儀式として行わ
れて居たんですね~。こうやって調べてみれば『綱引き』も奥が
深いですね

 

 




ボウリングの発祥(プチ歴史!?)

 皆さんおはようございます。『由良日記』の更新です。最近は
本当に寒かったり暑かったりして、体調の管理が大変ですね。
人によっては花粉症で目や鼻がやられている人も居るようです
から、そういった症状を持っている人はさらに大変です。花粉症
なんて自分には関係ない、等と思っている人、侮らない方が
良いかもしれません。『花粉症にはある日突然なる』(友人談)
そうですよ。

 

 さて、いつもであればこういった書き出しの後、その日の
記念日について触れていくのですが、この記念日、以前から
ちょくちょく書いているように、どれを取り上げてどれを
取り上げていないのか、投稿者本人すらも解らなくなって
来ています。そこで、今日は皆さんも一度は遊んだ事のある
『ボウリングの発祥』について書こうと思います。
今では娯楽としてすっかり有名になったボウリング…その起源
がどこにあるのか、下記をご覧ください。

 

 『ボウリングの歴史』

 

 1920年代にエジプトの紀元前5200年前の古墳の中から、
現在のテンピン・ボウリングによく似たピンとボウリング
ボールを発見しました。
これが世界のボウリングの始まりだと言われています。

 

イギリスでは、3世紀頃から芝生の上に置いたボールを
めがけてボールを投げ、当たるか1番近かった者が勝ちとする
「ローン・ボールズ」が流行しました。この「ボウルズ」と
いうのが今の「ボウリング」の語源になったようです。
今でもローン・ボールズはイギリスを中心に行われている
ようです。

ドイツでは、「ケーゲルシュビール」(棒倒し)というゲーム
が大流行しました。当時はまだ単純なゲームであったり、
宗教的な儀式だったようです。立ててあるピンを邪悪なもの
と見立てて、どれだけ信仰心があるかを量っていたそうです。
16世紀初めに、宗教改革で有名なマルティン・ルターによって
9本のピンをダイヤ型に並べる「ナインピンボウリング」を
考え出してから、スポーツ的要素を帯びながらヨーロッパ
に広がりました。

 

 1626年オランダの移住により、アメリカのニューヨークに
ボウリングが初上陸。
1841年、9ピンのボウリングが賭博化
し始めたためアメリカの多くの州でボウリング禁止条例が
出されましたが、
1865年にジョセフ・サムという男が
「9本がだめなら
10本で!!」と、現在のテンピン
ボウリングを誕生させました。テンピンボウリングの誕生
から
30年後の1895年、アメリカボウリング協会(ABC)が
創立されました。
それにより、ボウリングの統一ルールである「ABCルール」
が発行されました。現在のテンピンボウリングはこの
「ABCルール」を基準に作られています。

http://www.iyotetsu.co.jp/fudosan/balling/toribia/worldbowling.html

 

 本当はもう少し長く、日本のボウリングの歴史のような事
も書かれていたのですが、そこまで取り上げてしまうと、
さらに長文になりますし、日本のボウリングの歴史については、
それこそ以前の『由良日記』の中で『ボウリングの日』
(『ボーリングの日』になっていたかもしれません)
として取り上げたような取り上げなかったような…とにかく、
これはHPの一部を抜粋しただけなので、さらに詳しく
知りたい人はリンクへ飛んでみるなり、『由良日記』の記事
を探してみるなりしてください。
(個人的にはリンクへ飛ぶ方法をおススメします)

 

 今後はこういった色々な『ゲームの発祥』のようなものを
書いても面白いかなと思います。シリーズ化!?それは
インターネットの中の情報量がどれくらいあるのかを見て
からになります。

 





 



ホワイトデーの由来

 皆さん、元気でしたか?『由良日記』の更新です。

 最近は暑くなったり、寒くなったりで、少し体調不良気味です。
朝起きたときは鼻水を出していたのに、ピースフルリンクに出勤して
昼食をとった後ぐらいからは、いっきに暖かくなって、眠気に襲われ、
午後の作業に身が入らなくなる事もしばしば…昨日は施設内がやけに
暑かったので、暖房でも入れているのかと思ったら、外の気温の影響
でした。こう言った気候を体で体感できるようになってきたという
ことは、季節的にも春が近くなってきたのかなと思います。

 さて、『春』といえば、入学式や卒業式等、人生の門出となる
イベントがありますが、モテモテのイケメン男子の皆さんはもう一つ
大きなイベントがありますよね!?そうです、2月14日のホワイト
デーです。ということで、今日のテーマはホワイトデーを取り上げる
事にします。

 

 そもそもホワイトデーがどうして始まったのか?『ホワイト』
という言葉にどんな意味がこめられているのか、その辺りを
(ネットからぱくって)解説します。

 

 ホワイトデーの誕生について

 

 日本にバレンタインの習慣が根付き始めた昭和50年はじめ頃、
バレンタインのお返しをするという流れが高まります。

そこで、バレンタインデーの「アンサーデー」として、昭和53
「全国飴菓子興行協同組合」が「ホワイトデー」を発案。

 

2年後に初めて、東京銀座の百貨店でキャンディーやマシュマロを
売るキャンペーンイベントを行ったのが、ホワイトデーのはじまりです。

ところがそれ以外にも、昭和40年代頃から既に不二家が、
「リターン・バレンタイン」と銘打って、キャンデーやマシュマロの
販売促進を行っていたとう説や、昭和
50年代はじめ頃、福岡の老舗
お菓子屋さん「石村萬盛堂」が、当時の女性雑誌の投稿欄に、
バレンタインデーのお返しがないことに不満を持っていた女性達の、
「お返しに欲しいものランキング」にマシュマロがあった事をヒントに、
白いマシュマロを販売した事がきっかけとなったという説もあります。
つまり、日本にしかない行事なんですね。

 

 どうして3月14日に決定したのか?

 

 ホワイトデーが、314日と決められた起源も諸説あり、

1.バレンタイン神父が殉教した214(現在のバレンタインデー)
1ヶ月後に、バレンタイン神父が取り持った若い男女が永遠の愛を
誓い合ったという説

 

2.古事記や日本書紀の、わが国の飴製造の起源を拾ったという説。
などがあると言われています。

 

 『ホワイト』の意味は?

 

 理由は諸説あります。

 

1.キャンディーの材料である、砂糖の色の「ホワイト」に起源する説。

 

2.福岡市の老舗のお菓子屋さん「石村萬盛堂」が、バレンタインデー
のお返しとして白いマシュマロを売り出した事に由来するという説。

 

3.ホワイトは「清潔さ」のシンボル。さわやかな純粋な愛のイメージ
にぴったりという事で、「全国飴菓子興行協同組合」により「ホワイト
デー」と命名された説、
などなど。

 

 日本以外のホワイトデー

 

 日本以外なら、お隣の韓国でも日本の影響でホワイトデーが行われて
いるようです。

また台湾にもありますが贈り物は様々なようです。

http://www.innovade.co.jp/en/seasons/03/whiteday/yurai.html

 

 どうでしたか?色々な説がある分だけ、本当のホワイトデーの由来が
どこにあるのか、確かな事はわかりませんが、この記事を読む限り、
そして、現在の風潮を見る限り、ホワイトデーがバレンタインデーに
対するお返しの日であることはまず間違いがないし、世の中の殆どの人
もそう思っていると思います。

 

 何にしてもバレンタインデーに女の人から何かもらった男の人は
(それが義理であっても)何かお返しをするのがルールかなと思います。






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