忍者ブログ
2024 05
≪ 2024 04 1 2 3 45 6 7 8 9 10 1112 13 14 15 16 17 1819 20 21 22 23 24 2526 27 28 29 30 31 2024 06 ≫
*admin*entry*file*plugin| 文字サイズ  
の記事一覧

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



将棋の起源

 おはようございます。長らく更新の途絶えた『由良日記』の2014年初更新です。前回更新した『由良日記』のタイトルが、確か、『秋のお勧めアニメ』だったような・・・今日こそ『由良日記』の更新をと思いつつ、結局は更新が出来ず、季節は秋から冬、そして年が明けて、春へ・・・と随分時間が経ってしまいましたが、久々の『『由良日記』にお付き合いください。

 

 さて、それでは今日はどんなことを書こうかと考えましたが、以前からゲームの起原について書いていたので、今日もその路線で行こうと思います。

今日は『将棋の起原』についてです。下記に記事を抜粋しておきます。

 

『将棋の起原』

 

 将棋の起源は、紀元前の古代インドで発明された「チャトランガ」という盤上遊戯であると言われています。チャトランガは8×864マスの盤面で王・象・馬・車・兵の五種の駒で行うゲームで、「四人制」「サイコロの数に応じて駒を動かす」など独自のルールを備えていたことが分かっています。

 

 その後二人制のゲームとしてルールが変更されたチャトランガが輸出され、チェスや将棋の原型になっていったようです。

 

 『日本への伝来』

 

 将棋が日本に伝来した時期は未だはっきりしていません。「遣唐使として派遣された吉備真備が持ち帰った」と言う説が昔から根強く、囲碁が伝来したとされる奈良時代の前後であることは間違いないようです。ともあれ日本に最初に伝わった将棋は中国を経由したもので、中国・朝鮮・東南アジアで発展したチャトランガであるというのが定説となっています。

 

 『日本国内での発展』

 

 日本伝来後の将棋は、平安時代に大きく発展し独自性を持っていくことになります。平安時代に発明されたのが8×8マスまたは9×9マスの「平安将棋」、13×13マスの「平安大将棋」です。平安将棋は現在の本将棋の原型である小将棋、平安大将棋は大将棋・天竺大将棋・摩訶大大将棋・大局将棋…と大盤面を使う将棋のルーツになっていきます。

将棋独自のルールである「持ち駒」は11世紀から15世紀の間に発明されたものと言われており、チェスなどのチャトランガをルーツとする盤上将棋とは全く別個の進化を遂げていったことが浮き彫りになります。

 

 『江戸時代の将棋』

 

 江戸時代に入ると将棋は囲碁と共に徳川幕府からの手厚い保護を受けることになります。「将棋所」「囲碁所」と呼ばれる家元制が導入され、名人たちは年1回の江戸城内での御前試合である「御城将棋」で対局するという形で幕府から俸禄を貰っていたのです。

国家単位での保護を受けた将棋と囲碁は急速な発展を遂げ、現代に残る定番の戦法やルールの整備などが進展していきます。

 

 『明治以降の将棋』

 

 明治政府樹立によって将棋所をはじめとする徳川幕府からの保護が受けられなくなり、棋士が将棋だけで生活することは難しくなっていきます。そのため、棋士は合同で連盟を設立し新聞社との提携を模索するなどして、現代の将棋界の運営形態を確立させていくことに繋がっていったのです。

http://shogi1banboshi.jp/a01history.html

 

 こんな感じですね。確かにチェスも将棋もはルール上類似する点がたくさんありますね。

PR


秋のお勧めアニメ

 皆さんこんにちは。『由良日記』の更新です。
最近は朝夕寒く、日中は暑くというような服装の調節が難しい
気候が続いていますが、お元気でしょうか?
俺はもう半ズボンなんか履いてる奴はいないだろうと、
親から突っ込まれつつ、それでも日中は暑くなるからと
半ズボンで頑張って来ましたが、最近は流石に長ズボンを
履くようにしています。

 さて、前回の『由良日記』の更新からさほど日は経って
いませんが、ここいらで『由良日記』の更新をしたいと思います。
(最新記事を読んでいないという人、ご心配なく。
アップがまだなだけですので、アップされ次第、
この記事と合わせて読んでやって下さい。
)

 

 さて、いつもならここで色んなゲーム起源について迫っていく
所ですが今回は趣向変えてあるアニメを紹介したいと思います。
今月から始まった『
WHITE ALBUM2』というアニメなの
ですが、皆さんご存知でしょうか?アニメの公式サイトに個人的に
気になる声優さんの名前を発見して以来、
放送をずっと楽しみにしていた番組の一つです。

 

 ストーリー

 

 峰城大学付属学園の北原春希はE組の前期クラス委員長にして
軽音楽同好会に所属する三年生。学園祭実行委員の手伝いをする傍ら、
30日後に迫った学園祭に備え、放課後の第一音楽室でギターの
練習に励んでいた。

ところが、ボーカルの女の子がトラブルを起こした事により、
軽音楽同好会は崩壊の危機を迎える事になる。
メンバー集めに奔走する春樹だったが、そんな騒動の中、
学園祭実行委員会のトラブルにまで巻き込まれてしまう。
学園祭の目玉イベント、『ミス峰城付属』で二年連続女王に
輝いた
小木曽(おぎそ)(せつ)()、コンテスト参加の辞退を申し入れてきたのだ。
雪菜から事情を聞きだした春彼女の『ミス峰城付属』の
エントリー取り消しを承諾する。

 

 『ミス峰城付属』と軽音楽同好会…二つの危機に直面した春希は、
自分一人が残された第一音楽室で軽音学同好会最後のギター演奏を
覚悟する。

 放課後、誰もいなくなった第一音楽室で、春希がギターを弾いて
いると、隣の第二音楽室から美しいピアノの旋律が…いつも春希の
ギターに合わせて演奏をしてくれる名前も顔も知らない
『音楽科』だった。

 その時、春希のギターと『音楽科』のピアノの旋律に重なるよう
に、鈴のような歌声が屋上から響いてくる。
その歌声の主はあの小木曽雪菜だった。

 

 とまあ、こんな感じです。この作品の良さはとにかく『綺麗』の
一言です。各楽器の音色、イラスト、歌声全て驚くほど綺麗なのに
加えて、楽曲やストーリーもどこか切なげで、この作品の雰囲気に
ぴったりです。雪菜、春希、『音楽科』…
(←第二話で正体が
わかります
)この三人の三角関係がどうなっていくのか、
軽音楽同好会が如何に再建するのか、これからの放送に大いに
期待を持たせてくれます。久々にどっぷりキャラクターや
ストーリーに感情移入出来そうな名作に出会えたことを
嬉しく思います。









鬼ごっこの起源


 皆さんお元気ですか?『由良日記』更新です。
この『由良日記』も以前から書こう書こうと思いつつ、
そのまま何も書けずに月が変わり、あれよあれよと
いう間に10月に…これではいけない、今日こそは
なんとしても一件更新してやろうと思い、
昼間からこうしてパソコンの前に座っています。
読者の皆様、長らくお待たせしましたが、久々の
『由良日記』にお付き合い頂ければ幸いです。

 

 さて、今日のテーマは『鬼ごっこ』です。
いつものようにその起源に迫ろうと思うのですが、
投稿者自身、もう何十年も前に遊んだものなので、
『鬼ごっこ』のルール自体、おおざっぱにしか覚えていません。

 そこで、ルール等の確認も含め、鬼ごっこの遊び方から
記載したいと思います。
また、下記の遊び方は
HPに記されたもので、
地方によっては違う遊び方をするかも知れません。

 

『鬼ごっこ』の遊び方

 

1.      何人かの中で一人鬼を決めます。他の子は全て逃げる子に
なります。鬼が逃げる子を追いかけてその中の一人を
捕まえれば、捕まった子は次の鬼になります。

 

2.      鬼は逃げる子を追いかけます。捕まった子は初めの鬼と
一緒に鬼になります。鬼は二人、三人、四人と徐々に
増えていきます。最後に全員が鬼になったら最初に
捕まった子が初めの鬼になりまた鬼ごっこが繰り返されます。

 

3.      鬼が逃げる子を追いかけて捕まりそうになった時、
別の逃げる子が鬼と追いかけられている子の間を
横切ると、鬼は前の子を追いかけることを止めて、
横切った子を追いかけなければなりません。
逃げ疲れている子を他の逃げる子が助けるのです。

http://www.tokyo-kasei.ac.jp/~uchida/HOI/HOI03/A_49/

 

 という事だそうです。

 

次にこの鬼ごっこの起源については別のHPに下記の様な
記載がありましたので、掲載しておきます。

 






これは、寒川恒夫『遊びの歴史民俗学』明和出版を
参考文献としたもので、『骨薫集』に描かれた比々女を
表したものです。江戸時代には、「子をとろ子とろ」とも
呼ばれました。
1人が鬼、1人が親、他の者が子となり、
親の後ろに子ども達が前者の腰を掴んで
1列をつくると、
親と対峙した鬼は、両手を広げて子を守りガードする親を
かいくぐり、列の一番最後の子を鬼がさわるというもの
(寒川恒夫)です。

 

時代は、さかのぼり1300年昔から言い伝えられてきた遊び
であり、宮中行事として五穀豊穣を願う儀式
「鬼事(おにごと)」として行われていた祭事事でした。
これは、あまり知られていないことで、いつもとても驚かれます。

 

資料にある絵の、親とされる存在は「地蔵菩薩」で、
鬼は天災や飢餓などを表します。
そして子は、民衆を表しています。おそらく、読者の皆さんが
一番分かりやすいのは鬼から、地蔵菩薩が民衆を守っていると
いう意味付けだと思いますが、もちろん正解です。
しかし、もうひとつ意義深い意味があり、鬼の存在はひとえに
悪い存在ではなく、民衆に対して畏れのある存在であり、
悪さをしたりだらけたりする者を諭したり、
しかるなどする役回りでもあります。

 

この3者の関係性は、「3すくみ」と言われます。

 

3すくみの発想は、じゃんけんがたとえ話として分かりやすいです

 

この「ことろことろ」も、3すくみの世界で構成されています。
親、鬼、子がいて始めて全ての存在が引き立つように
できています。鬼は親に弱くて子に強い、親は子に弱くて鬼に強い、
子は鬼に弱くて親に強い。分かりやすく言うと、
そんな意味合いで考えていただければと思います。

http://blogs.bizmakoto.jp/hiramine_onigokko/entry/3275.html

 

 地域には怖い雷親父がいて、優しいおばさんがいて、
地域から守られている子供がいる、そんな風景を象徴したもの
だそうです。俺が子供のころはそんな事は考えもしませんでしたが、
鬼ごっこにこめられた深い意味を知ると共に
HPの文章を読みながら
子供の頃の古き良き時代を思い出しました

 









卓球の起源

 皆さんお元気でしたか。『由良日記』久々の更新です。
こよみの上ではもう秋になっているはずなのですが、むしろ、
八月の後半になってますます暑さが増したように感じます。
俺はここ一週間ほどお盆休みをもらい、丹後の方まで両親と
一緒に帰省をしていましたが、こちら(伏見)の方よりあちら
(丹後)の方が暑さ的には若干マシに感じました。
周囲が山に囲まれた地形のせいか、こちらのように朝から肌を
刺すような猛烈な暑さや、サウナにいる様な強烈な蒸し暑さはなく、
日によっては朝晩が肌寒く感じる事さえあったのですが…
それを思えばこちらの暑さは地獄のようです。

 

 さて、今回の『由良日記』は卓球の起源について書いておきます。
例によってHPから抜粋した記事を利用しようと思うのですが、
この卓球の起源についても色々な説があるらしく、下に紹介するのは、
あくまでその内の一説です。

 

『卓球の起源』

 

卓球の起源についてはいろいろな説がありますが、現在の卓球の
起源は「19世紀の末にイギリスの貴族が、食事の後のテーブルで、
シャンパンのコルクを打ち合った」のが始まりと言われています。
当初はシャンパンの栓のコルクを丸く削ったボールと、
葉巻タバコの箱のフタをラケットとして使用していました。
そして、それらを使って食卓の上で打ち合ったということです。
ラケットは、葉巻タバコの箱のフタから手の平くらいの大きさに
丸く曲げた木の枠に羊の皮を貼り
40センチぐらいの柄をつけたもの
になり、やがて木製になっていきました。また、その木製のラケット
の表面に紙やすりやいろいろな布を貼ったものが現れました。
現代卓球の始まりは、1898年にイギリスのジェームズ・ギブが、
雨のためテニスができなくなり、室内で、中空のセルロイド球を用いて、
子羊の皮がはられたラケット(バンジョーラケット)で打ち合った
ことと言われています。また、このとき、ジェームズの友人がこの
打ち合いを見て、セルロイド球を打ったときの音から、
『ピンポン』(
PingPong)と名付けたと言われています。
そしてピンポンが盛んになるにつれ、用具も少しずつ使いやすいものに
変わっていきました。

 

 日本に伝わったのは1902年(明治35年)に東京高等師範学校
教授の坪井玄道がイギリスからルールブックと用具一式を日本に
持ち込み運動具店に作らせてからと言われます。1921年に
城戸尚夫が「卓上の球技」「卓越した球技」をもとに名付けました。

http://ai.u-shizuoka-ken.ac.jp/~serizawa/takkyu.htm

 

道具は『コルクと葉巻タバコのフタ』しかも卓球台の代わりとして
使用していたのは『食卓』ですか…個人的には貴族って礼儀や作法に
うるさそう(育ちがよさそう)な印象を持っているので、
『食卓を台の代わりに使用する』などというような発想は出てこない
ような気もするのですが…どうなんでしょうねぇ。










トランプゲームの起源

皆さん、元気でしたか?『由良日記』の更新です。

 

 昨日までは、梅雨を通り越して夏になったのかと思うくらい
暑い日が続きましたが、今週の週間予報を見てみると、
傘マークがたくさんあり、ようやく梅雨の到来を思わせる天気と
なって来ましたね。これでようやくムシムシとした暑さが収まり、
夜も多少は寝付きやすくなるのかなと思います。

 

 さて、このブログでは現在、『ゲームの起源』をテーマにし、
既に幾つかのゲームの起源や歴史などを紹介して来ました。
今回のテーマは『トランプゲーム』にしようと思います。
また、いつもの様にHPより抜粋した記事を掲載しておきます。

 

 トランプの発祥

 

 トランプがいつ生まれたのかは分かっていないというのが定説
のようです。インドや中東あたりで生まれたというのが有力な説
のようです。歴史に最初に登場したのは14世紀のヨーロッパです。
どうやってヨーロッパに伝わったのかも不明です。

 

 トランプの伝来

 

 日本に伝わったのは室町時代末期です。鉄砲などとともに
ポルトガルから伝えられたとされています。
トランプは本来は切り札という意味で、英語ではプレイングカード
または単にカードといいます。これをポルトガル語にすると
「カルタ」です。つまりカルタとは元々トランプのことだったのです。
その後、ポルトガルのカルタは「天正カルタ」「ウンスンカルタ」と
いった和製カルタに発展していきました。カルタはギャンブルとして
広まったらしく、江戸時代にはいると幕府によって禁止されます。
そこで登場したのが「花札」です。トランプが4種類13枚で
あるのに対し、花札は12種類4枚です。本質的には同じですが、
規制逃れのための工夫だったのですね。

 

 明治時代にはいるとカルタ禁止令が廃止され、また、欧米文化の
象徴であるトランプは日本中で楽しまれるようになりました。
このころからカルタではなく「トランプ」と呼ばれるようになった
そうです。しかし欧米で「カード」とよばれるゲームがなぜ
「トランプ」になったのか。それは、当時外国人がカードゲーム
(主にホイスト等だったと考えられます)をしている最中に、
「トランプ!(切り札!)」という声が良く聞かれたため、
それを聞いていた日本人が、そのゲームの名前が「トランプ」であると
勘違いしたのだと言われています。

 

http://www.page.sannet.ne.jp/mikotan/cardgame/history.htm

 

 

 “カルタ(トランプ)はギャンブルとして広まった”ですか?
確かにトランプゲームの中には賭けや運試し的な要素を含んだ
ゲームが多数存在しますね。

 

 例えばポーカーやババ抜き、大富豪等、最初の手札に関しては、
自分で選べないものばかりです。その人の実力がゲームの結果に
影響を与えないわけではありませんが、最初に配られる札が
悪すぎると、どうもしようがないゲームというのが確実に存在します。

 

 俺もピースフルリンクの休み時間に、他の所員さんとポーカーを
やるのですが、手札がバラバラで何の役も出来そうにない事が
あります。そういったときに限って、手札の交換なしで勝負を
かけてくる所員さんがいて、手札を見せてもらったらストレート
だったということもあります。

 運に左右される事の多いトランプゲームではありますが、
それが、実際にゲームで遊んでみるまで誰にも勝敗の行方が解らない
という、このゲーム最大の醍醐味でもあるのだと思います。
だからこそ、これほど長きにわたって遊ばれているのではないか
と思います。

 

 

 





04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31