W杯の終焉・…・そして野球!
2010/06/30 14:46:55
W杯ベスト8をかけた日本VSパラグアイの結果を今朝のニュースでみました。日本は善戦したようですが、PK戦の末惜しくもパラグアイに敗れたようです。
実は、俺は余りサッカーを見ないため、W杯のトーナメントの仕組みはもちろん、選手の名前も、サッカーのルールすら良く知りません。それでも『日本代表』と聞くとやっぱり頑張ってほしいし、結果だけでも見るようにしていました。
W杯が始まる前の日本の評判は最悪で、早々に負けてしまうだろうという声も多く聞こえるなか、強化試合でも負けが続きました。
しかし、蓋を開けてみれば、カメルーン戦、オランダ戦、デンマーク戦、と前評判を上回るような熱戦を繰り広げ、ベスト16まで勝ち上がりました。その間日本中のほとんどの人たちが、日本の勝利を願い、一生懸命応援している姿をテレビ中継等を通じてみることが出来ました。
サッカーに限った事ではないですが、大きな大会に国の代表として参加をする場合、代表選手として戦っている選手だけでなく、控えの選手、サポーターの人たち、さらには日本国民といろんな人たちの想いを乗せて戦ってるんだなぁと思いました。
日本中が何か、暑い熱の様なもので包まれ、その熱の中で皆が一つになったようなそんな錯覚を覚えました。代表選手の皆さんお疲れ様でした。そしてありがとうございました。
さて、そんなW杯が終わったということは……プロ野球中継が始まるかも!?
実はサッカーに疎い俺にとってはW杯の間中どこにチャンネルを回してもサッカーしかやっておらず、野球を見られないのが残念でなりませんでした。しかし、これでやっとタイガースの勇姿が見れると思うと楽しみです。PR
リーダー不在・・・・・
2010/06/28 11:32:43
最近、選挙カーや街頭演説等で選挙立候補者の姿をよく見かけるようになりました。
それに伴いテレビや新聞上にも選挙の話題が増えてきました。
新聞上にはマニフェストの文字が踊り、特集番組にも「与野党徹底討論」みたいな感じで、各党の議員さんが自分の党の施策や他党の施策について議論をしている姿を見かけました。
しかし、俺は今回の選挙の投票に参加したいとは思いません。
考えて見てください。総理大臣が福田さん、安倍さん、麻生さん、鳩山さん、管さんと、一、二年で目まぐるしく入れ替わり、自民党の政策からの脱却を期待して民主党に投票をしても、政治と金の問題が浮上したり、普天間問題の解決が未だに図れないまま、今度は消費税引き上げの話が出てきました。
これでは国の指針が定まらず、政策そのものに納得できないという有権者も多数いるのではないか、と思います。
そんな事を考えると、何処の党に投票しても今の日本の現状を打破できるような国の未来に対して確かな見通しを持った実行力のある政治を出来るような政党がないのではないかと思います。
もし、仮に選挙演説通りの政策が実行されていれば、また、実行するだけの情熱をもったあれだけ沢山の政党や候補者の皆さんがいるのならば、日本はもっと素晴らしい国になっているはずです。
演説やマニフェストをその場限りで終わらせずに、実際に目に見える形で実行してほしいと思います。
それに伴いテレビや新聞上にも選挙の話題が増えてきました。
新聞上にはマニフェストの文字が踊り、特集番組にも「与野党徹底討論」みたいな感じで、各党の議員さんが自分の党の施策や他党の施策について議論をしている姿を見かけました。
しかし、俺は今回の選挙の投票に参加したいとは思いません。
考えて見てください。総理大臣が福田さん、安倍さん、麻生さん、鳩山さん、管さんと、一、二年で目まぐるしく入れ替わり、自民党の政策からの脱却を期待して民主党に投票をしても、政治と金の問題が浮上したり、普天間問題の解決が未だに図れないまま、今度は消費税引き上げの話が出てきました。
これでは国の指針が定まらず、政策そのものに納得できないという有権者も多数いるのではないか、と思います。
そんな事を考えると、何処の党に投票しても今の日本の現状を打破できるような国の未来に対して確かな見通しを持った実行力のある政治を出来るような政党がないのではないかと思います。
もし、仮に選挙演説通りの政策が実行されていれば、また、実行するだけの情熱をもったあれだけ沢山の政党や候補者の皆さんがいるのならば、日本はもっと素晴らしい国になっているはずです。
演説やマニフェストをその場限りで終わらせずに、実際に目に見える形で実行してほしいと思います。
アイスクリーム
2010/06/28 10:23:02
本日6月25日の早朝、おなかの調子が不調でトイレに駆け込みました。
特に体調を崩していたわけではないのに、どうしてだろうと考えてみたところどうも昨日、風呂上りにアイスを大量に食べたことに原因があるのではないか、と思い至りました。
最近由良家では生協に食料品を注文しています。
先月お母さんから「何か欲しいものでもあれば丸をつけとき」と生協のカタログを見せてもらいました。
その中にはいろんな食品や値段が記載されています。
「丸をつけろ」と言われたので、カタログにざっと目を通したわけですが、この季節なので冷たい食べ物に目がいきます。適当に丸をつけた結果、俺自身は特にたくさん選んだわけではないと思ってはいるのですが、冷蔵庫がアイスクリームでいっぱいになってしまいました。
このままではいけない、ということでここ数日は風呂上りにアイスを大量に食べるようにしていました。
先日もお母さんから「あんまりアイスを食べ過ぎるとおなか壊すよ」と言われたわけですが、食べ残して捨てる事になるともったいないので、その前に何とかしたいという意識が働き食べ過ぎてしまうようです。
次回からはカタログでの注文時に自分の食べられそうな量とかも考えた上で丸をつけようかと思います。
最近由良家では生協に食料品を注文しています。
先月お母さんから「何か欲しいものでもあれば丸をつけとき」と生協のカタログを見せてもらいました。
その中にはいろんな食品や値段が記載されています。
「丸をつけろ」と言われたので、カタログにざっと目を通したわけですが、この季節なので冷たい食べ物に目がいきます。適当に丸をつけた結果、俺自身は特にたくさん選んだわけではないと思ってはいるのですが、冷蔵庫がアイスクリームでいっぱいになってしまいました。
このままではいけない、ということでここ数日は風呂上りにアイスを大量に食べるようにしていました。
先日もお母さんから「あんまりアイスを食べ過ぎるとおなか壊すよ」と言われたわけですが、食べ残して捨てる事になるともったいないので、その前に何とかしたいという意識が働き食べ過ぎてしまうようです。
次回からはカタログでの注文時に自分の食べられそうな量とかも考えた上で丸をつけようかと思います。
コラムに見る自分の姿
2010/06/24 12:06:54
6月23日の読売新聞の『人生案内』というコラムの中にある二十歳の男子大学生の次のような投稿がありました。
『僕にはずっと気になる女性がいました。同じアパートに住み、同じ大学に通っていた方です。僕が引っ越してきたときにはもう住んでいて、廊下ですれ違った際に挨拶し、ちょっとした会話を交わしました。それ以来気になり始めました。ただ、僕は恋愛にはおくて。友達なら女性とでも話せるのに、気になる女性とはうまくしゃべれません。大学で見かけても会釈程度しか出来ませんでした。彼女の学年も学部も知らないまま月日が流れ、今春、彼女は引っ越して行きました。卒業だったのです。勇気を出して話しかければよかったのにと後悔の日々です。後悔しても時間は巻き戻せない。その後悔を今後の人生に生かしていくべきなのだと自分に言い聞かせています。でも、やはり、自分がふがいなく情けない。今後自分は変わっていくことができるのでしょうか。前向きになれるアドバイスをいただければ、ありがたいです。』
このコラムを読んでこの人、俺に似てると思いました。
俺にも大学時代に似たような経験があるからです。
俺にも大学時代に似たような経験があるからです。
俺は小、中、高校と養護学校で過ごしました。その養護学校には自分と同じような障害を持った人や、自分とは異なる障害を持った人もいたし、障害の重さや心身の状態などもその人によって違います。
さらにその人の持つ能力や体の状態に合わせて、クラスのメンバーが振り分けられます。
結果的に同じような状態の人たちが同じようなクラスに分けられていきます。
さらに書いてしまえば困ったことがあるときは先生のほうから声をかけてもらえることがほとんどでした。
校舎も小、中、高等部と繋がっているので、高等部を除けばどこかの部を卒業しても見知った友達や先生に会いにいけます。
十二年間、見知った人たちとずっと一緒にいられるわけです。
小、中、高と同じクラスだった友達もいます。自分にとっての知り合いが多数いるというのは居心地のいいものでした。
そこを卒業し、大学に行くころになって特に進学の理由が無かった俺はとりあえず「友達を作る」という目標を立てました。
ところが、その大学ではこれまでの俺の生活と全く違うことが大きく分けて二つありました。
一つは学内での行動のほとんどを自主的に行わなければいけないということでした。
忘れ物をしようが講義をすっぽかそうが、基本的に先生から学生に声をかけることはありません。
何かをしてほしい時には何かをしてほしいとこちらから申し出る必要があるし、それがなければほったらかしです。
二つ目は友達を一から自力で作らないといけないということです。
これまでのように見知った顔があるわけでなく、男女を問わず知らない人たちばかりの中で、それでも誰かと友達になりたければ自分から声をかける必要があるのですが、どんな風に声をかければいいのか解らず、相手のことも知らず、入学したての春先はそんな無言の圧力を感じながら掲示板の前で本を読んでいたことを思い出します。
それにはもちろん余計な雑念や邪念が入っていたことも否定はしません(笑)
女の子同士でグループを作られたりするとそこに「女の子バリアー」が見え、もはや割り込もうとも思いませんでした。とにかくそんな状態だったので、俺の周りの友達はほとんど男子学生でした。
そのときの俺に足らなかったものは「知らない誰かに自分から働きかける勇気」と「相手に話しかけた後の自分の表現方法」だったのではないかなと思っています。
『何かいいたいけれど何も言えない、声をかけてもその後が続かない、親しくなれればいくらでも話せるのに・・・・』という彼の心の叫びが聞こえるような気がして、その彼の心の叫びを学生時代の自分と重ねながらコラムを読んでいました。
言葉
2010/06/24 10:36:28
俺は昔から言葉遊びが大好きです。
小学生くらいのときはクイズやなぞなぞの本をたくさん読んで答えを考えたり、自分でクイズやなぞなぞを作って友達に出題したりして遊んでいましたし、クイズの中でも、特にとんちの効いたクイズを使って遊んでいました。
またクイズやなぞなぞではないけれど、推理小説やミステリードラマの中にも謎賭けや暗号のようなものが多数出てきます。
このように言葉を使って遊ぶことは以外に楽しいことですし、答えがわかったときにはちょっとした爽快感すら覚えます。今回テーマにするのはそんな『言葉』についてです。
小学生くらいのときはクイズやなぞなぞの本をたくさん読んで答えを考えたり、自分でクイズやなぞなぞを作って友達に出題したりして遊んでいましたし、クイズの中でも、特にとんちの効いたクイズを使って遊んでいました。
またクイズやなぞなぞではないけれど、推理小説やミステリードラマの中にも謎賭けや暗号のようなものが多数出てきます。
このように言葉を使って遊ぶことは以外に楽しいことですし、答えがわかったときにはちょっとした爽快感すら覚えます。今回テーマにするのはそんな『言葉』についてです。
いつかみた何かのテレビ番組で『ギャル語特集』のような番組をやっていました。
これはある言葉をさらに略して発言したり、言葉そのものを何文字かのアルファベットに丸々置き換えたりするようです。
例えば相手に「お疲れ様」と声をかける代わりに「おっつー」等と声をかけます。
この程度であればまだ想像が可能です。言葉をアルファベットに置き換えるというのは「ky」などがわかりやすい例で「あの人空気読めてないよね」という意味をこめて「あの人はkyだね」等と使われるようです。
例えば相手に「お疲れ様」と声をかける代わりに「おっつー」等と声をかけます。
この程度であればまだ想像が可能です。言葉をアルファベットに置き換えるというのは「ky」などがわかりやすい例で「あの人空気読めてないよね」という意味をこめて「あの人はkyだね」等と使われるようです。
また「ギャル文字」は複数の文字や記号を合体させて一字として読むようです。
よく知らないのであっているのかどうかは解りませんが、似たような発想で例として一字作ろうと思います。
そんな使い方はしないという方、投稿者が無知だと思ってお許しください。
例えばカタカナの『レ』という文字が左側にあるとします。
次にひらがなの「よ」いう字が右側にあるとしてこの二つを組み合わせて「は」と読んだりするものです。
多少違いはあるかもしれませんが発想としては大体あっているのではないかと思います。
ここまでくると文字や言葉というよりも、ほとんど暗号に近い印象を受けます。
日々そういった言葉を使ったり、開発したりしている若者がいると思うと、素直に素晴らしいと思います。頭の固い人間からはまずそういった発想は生まれません。
よく知らないのであっているのかどうかは解りませんが、似たような発想で例として一字作ろうと思います。
そんな使い方はしないという方、投稿者が無知だと思ってお許しください。
例えばカタカナの『レ』という文字が左側にあるとします。
次にひらがなの「よ」いう字が右側にあるとしてこの二つを組み合わせて「は」と読んだりするものです。
多少違いはあるかもしれませんが発想としては大体あっているのではないかと思います。
ここまでくると文字や言葉というよりも、ほとんど暗号に近い印象を受けます。
日々そういった言葉を使ったり、開発したりしている若者がいると思うと、素直に素晴らしいと思います。頭の固い人間からはまずそういった発想は生まれません。
しかし、一方でいくつかの懸念も感じます。例えば「ky」等の略語は「空気が読めない」と訳すことも出来ますし、「漢字が読めない」と訳すことも出来ます。
また「ギャル文字」に至っては相手の人がうまく解読してくれなければ自分の意図が相手に伝わらないこともあろうかと考えます。
また「ギャル文字」に至っては相手の人がうまく解読してくれなければ自分の意図が相手に伝わらないこともあろうかと考えます。
さらに書くのなら彼らはちゃんとした日本語が普段から使えているのか、ということが気にかかります。
「JK」(女子高生)など簡単な言葉を略したもののあるようですが、普段から略語ばかり使っていると一般的な日本語を忘れてしまうのではないかと心配になります。
少なくとも俺にはそういった独自の言語は解りにくいし、解ったとしても一般的な言語としてそういった独自の言語が使われているのならば、その人物に対して良い印象は持てません。
「JK」(女子高生)など簡単な言葉を略したもののあるようですが、普段から略語ばかり使っていると一般的な日本語を忘れてしまうのではないかと心配になります。
少なくとも俺にはそういった独自の言語は解りにくいし、解ったとしても一般的な言語としてそういった独自の言語が使われているのならば、その人物に対して良い印象は持てません。