ビキニスタイルの日
2011/07/08 09:20:14
皆さんは『夏』と言えば、どんな事を思い浮かべますか?花火、浴衣、お祭り…等夏ならではのイベントが結構あると思います。最近は烏丸駅の辺りでも、『チンチキチン』と言う、あの、祇園祭独特の楽器の音が駅の中に響いています。これを聞くと、祇園祭ももうすぐなんだなぁ、という実感がわいてきます。
しかし、そんな色々なイベントがある中でも、夏の主役はやっぱり海水浴かと思います。そして、海に無くてはならないものといえば、水着美女でしょう。今日はそんな水着に関する記念日を紹介します。
『ビキニスタイルの日』
1946年(昭和21年)の今日、世界で最初のビキニスタイルの水着がフランスで発表された事に由来。
同年にマーシャル諸島のビキニ環礁で米国によって行われた第二次大戦後初の原爆実験の報道直後に、考案者のルイ・レアールがその大胆さが周囲に与える破壊的威力を原爆に例え、ビキニと命名してこの水着を発表したと言われる。
発表当時から肌の露出度がかなり高い水着であり、あまりの大胆さから当初はほとんど着用されなかったようで、アメリカでは1960年代初頭まで一般的なビーチでは着用禁止とされていたんだとか。
同年にマーシャル諸島のビキニ環礁で米国によって行われた第二次大戦後初の原爆実験の報道直後に、考案者のルイ・レアールがその大胆さが周囲に与える破壊的威力を原爆に例え、ビキニと命名してこの水着を発表したと言われる。
発表当時から肌の露出度がかなり高い水着であり、あまりの大胆さから当初はほとんど着用されなかったようで、アメリカでは1960年代初頭まで一般的なビーチでは着用禁止とされていたんだとか。
う~ん、今ではビキニを着ると言うのは、女の人から男の人に向けた何らかの強調であったり、あるいは自身を綺麗に、又は、可愛く見せる、いわゆる『お洒落感覚』でビキニを着用する女の人も多くいます。そう言った意味では、ビキニ姿というものに違和感なく“お目に掛れます”が、1960年代までは、そういった水着の着用に抵抗があったのでしょうか?何も着用禁止にまでしなくても…と思うのですが、時代が変わり、人々の考え方が変わっていく中で、ビキニと言う水着が徐々に民衆の間で浸透し、受け入れられるようになっていったということでしょう。そう言った意味ではこの時代に生まれて良かったなと思います。
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山崩し
2011/06/30 17:49:52
今日も暑い日が続き、まだ6月だというのに少々バテ気味です。節電と言ってもやはり適度な空調の使用は欠かせないのではないでしょうか?身体の冷やしすぎと、電力の消費に気をつけながら、(と言っても自分の家庭でどれだけ電力を消費しているのか、正確に把握するのは難しいことですが)必要なだけ空調を使うようにするのが、最良の方法かと思われます。
さて、今日は少し、ピースフルリンク内での昼休み中の出来事について書こう思います。
ピースフルリンク内では、一日の作業予定時間が予め決まっており、その時間にそれそれの所員さんがそれぞれの予定を決めて、各作業を当てはめて作業をします。ただ、作業所と言っても、一日中作業に取り組むわけではなく、昼食後やお昼過ぎは各所員さんの休憩時間になっており、その時間中のフロアは、自身の作業のことはひとまず置いておき、所員さん同士の団欒や交流の場と化します。畑の様子を見に行く人、インターネットをする人、誰かと談笑する人、ゲームをして遊ぶ人、それぞれがそれぞれの一時を過ごします。
昨日、俺がそんな休憩時間に軽作業のフロアに入ってみると、机の上の将棋板を挟んで、ある所員さんとボランティアさんが向かい合っています。将棋版の中央にはでたらめに積まれた駒の塊が山となって盛り上がっています。これは、『山崩し』というゲームです
『山崩し』のルールは簡単!中央に詰まれた将棋の山から交代でそれぞれ駒を取っていき、将棋の山が完全になくなったとき、誰がより多く駒を獲得できたかを競うゲームです。交代の基準は相手が山を崩す時、又は、駒を運んでいる最中に音を鳴らせばということになっています。
このゲームのコツは相手の失敗につけこむ事、つまりは、相手が音を鳴らして崩しかけた山の中から、取りやすそうなものを選んで正確に回収していくことです。
暫く、所員さんとボランティアさんの勝負を見物していたのですが、所員さんの方は本当にルールが解っているのか、取りにくそうな駒に手を出しては音を鳴らし、山が崩れてすぐに出番が終わってしまうため、ハンデとして音の有無に関わらず、一回ごとに交代をしながら遊んでいるようでした。
結局その勝負はボランティアさんの圧勝に終わり、次戦から俺も混ぜてもらうことにしたのですが、その所員さんの方は自信をなくしたのか、対戦が始まる前にゲームを降りてしまいました。
さあ、ここからは俺とボランティアさんの勝負です。将棋の山の中から取りやすそうな駒を選び、或いは駒を立て、或いは駒を駒の上に載せ、慎重に駒を運びつつ、相手の番には神経を研ぎ澄ますようにしながら耳を傾け、相手の指や駒に集中しながらお互いに駒を取り、将棋の山を崩していきます。。この緊張感が『山崩し』最大の魅力です。
結局二戦行い、戦績は一勝一敗で引き分けた形になりましたが、小学生の頃以来、こういった遊びが出来たことを懐かしく、又、嬉しく思いました。
佃煮の日
2011/06/29 15:36:11
本当に暑い日が続きますね。こう暑いと、肉体的にもだるいし、思考力も低下気味で、何をするにも嫌になってきます。
さて、先日は『ちらし寿司の日』を紹介しましたが、今日、6月29日は『佃煮の日』という記載を見つけたので、そのことを下記に書こうとおもいます。
『佃煮の日』
佃煮の発祥の地である東京・佃島の氏神・住吉神社が創建されたのが正保3(1646)年6月29日であることから、全国調理食品工業協同組合が2004(平成16)年に制定。
佃煮の起源は、戦国時代、明智光秀の謀反を察知した徳川家康は、急遽、大阪方面に移動をし、その際に手助けをしたのが、摂津郡佃村(大阪市西淀川区)の人々だったそうです。
この事を恩義に感じていた家康は、江戸幕府を開いた際に、佃村の人々を東京湾に流れる川の中州に移住させたそうで、元々漁師だった佃村の人々は、その中州を「佃島」と名付け、漁業に励んだそうです。佃煮ははじめ佃島の漁師たちの保存食でしたが、これが江戸の人々にも好まれるようになり、次第に商品化され佃島の名産品として発展していったとか。
この事を恩義に感じていた家康は、江戸幕府を開いた際に、佃村の人々を東京湾に流れる川の中州に移住させたそうで、元々漁師だった佃村の人々は、その中州を「佃島」と名付け、漁業に励んだそうです。佃煮ははじめ佃島の漁師たちの保存食でしたが、これが江戸の人々にも好まれるようになり、次第に商品化され佃島の名産品として発展していったとか。
俺は佃煮をあまり食べませんが、こうやって調べてみると、色々な食べ物にそれぞれれ発祥の由来なり、歴史的な背景なり、その土地に住んでいた住民の知恵なり、色々な要素が絡んでいて面白いですね。
案外と色々な食べ物に、色々な物を混ぜたり組み合わせたりすれば、新しい食品や未知なる美味を秘めた食材が出来るかも知れませんね。
ちらし寿司の日
2011/06/27 11:19:37
蒸し暑いですね。今年の梅雨の特徴として、雨の日は少ないけれど、雨が降り出すと豪雨になって、晴れた日や曇った日は蒸し暑い、そんな傾向があるのではないでしょうか?六月も終わりに近づき、いよいよ本格的な夏の季節がやってきます。頭では解っていても、この季節に節電をしなければいけないのは、正直辛いですね。
さて、本日6月27日は『ちらし寿司の日』だそうです。下記にて詳細を記載しておきます。
『ちらし寿司の日』
ちらし寿司の起源といわれる「ばら寿司」誕生のきっかけを作った備前(岡山県)藩主、池田光政の命日から、調理用食材の製造販売メーカーの株式会社あじかんが制定。いまから約350年前の江戸時代、池田光政が「一汁一菜令」(食事をする場合、汁もの以外のおかずはひとつのみ)という倹約令をだしたため、反発した市井の人々が「ご飯に魚や野菜をのせてしまえば、おかずとしてカウントされずにすむ」と知恵をはたらかせて考案したのが「ばら寿司(ちらし寿司)」のはじまり。反骨精神から生まれたばら寿司はその後「寿司一升、金一両」といわれるほどのぜいたくな寿司として発展。また各家庭によって代々伝えられた味つけがあり、のせる具材もそれぞれ違うのだとか。
今では一般家庭でもすっかりお馴染みのちらし寿司に、こんな過去が有ったんですね。
考えてみれば、御茶漬けやカレーライス、親子丼に卵ご飯等、ご飯の上に何かをかけて(あるいは載せて)食べる料理というのは、結構な数が存在しますね。そういった料理のほとんどは、どこかの誰かが柔軟な発想と知恵で生み出されたものかもしれません。そう考えるのなら、色々な食べ物のルーツについて、その歴史を調べてみるのも案外面白いかもしれません。
迷惑メール
2011/06/24 11:31:12
暑いですね~!今日は午前中から真昼の様な暑さが続きます。この分だと、昼間はどうなってしまうんでしょうか?しかも、カレンダーを見ればまだ6月…この分だと7月の後半から8月いっぱいにかけての夏の絶頂期は一体どれほどの暑さになるのか…考えるとゾッっとします。
ところで皆さんは『迷惑メールの対策』ってきちっと使えていますか?一口に『迷惑メールの対策』と言っても、パソコンからのメールの拒否とか、特定のアドレスからのみメールを受信するとか、なりすましメールがどうとか、その機能は多岐に亘ります。設定によっては特定のパスワードが必要なものもあるようです。正直俺には何が何だか、よく解りません。
さて、順番が逆になってしまいましたが、どうしてこんなことを書くのかと言うと、皆さんも経験があるとは思いますが、iモードの機能やインターネットに携帯電話で接続すると、どういう方法でか、こっちのアドレスを調べ上げて、怪しげな書き込みと共にアドレス付きのメールを送ってくる素性の解らない人がいます。しかも、そのメールは、時間や場所を選ばず、酷い時には一日何十通と届きます。いいかげんうっとうしいので、ドコモショップに行き、こういったメールの受信を防止する設定を、店員さんにやってもらいました。
案の定迷惑メールが来なくなり、さあこれで安心と思いきやもう一つ、ピースフルリンクからのメールも届かなくなっていることに気がつきました。ピースフルリンクから来るメールというのは、具体的には各行事その他のメールであったり、こっちから送信したメールの返信であったり、緊急な用事であったり、ピースフルリンクを利用する上で大切な内容のものがほとんどです。
では、どうしてそれらのメールが届かなくなったのか?原因は『迷惑メール対策の強化』に他ならないでしょう。渋々携帯電話の『迷惑メール対策』を元に戻すと、ピースフルリンクからのメールも届くようにはなりましたが、BUUU…という音と共に『いらないメール』も届くようになりました。
お父さんからは、アドレスを変えたらどうか、という提案の受けたのですが、変更後のアドレスを大勢の人間に送信するのは面倒なことですし、学校を卒業してからは共通の場や話題を友人と共有する機会が減ったこともあって、現在は家族間でのメールがほとんどを占めているため、友人のメールアドレスが知らない間に変っている可能性もあります。
以上のような事態も考えて、出来ればアドレスはこのまま、『迷惑メール』のみを拒否したいのですが、おれ自身ではそういった設定方法が解らず、分厚い説明書を読む気にもなれず、うっとうしい限りです。