阪神タイガース記念日
皆さん、お元気ですか?『由良日記』更新です。
秋が深まる今日この頃、皆さんはこの『秋の夜長』をどのように過ごしていますか?
個人的な感想ながらこの時期は特に面白い番組もなく、少し退屈しています。
せめてタイガースがCS(クライマックスシリーズ)に進出していれば、逆襲をかけ、
日本一の座を巡って他球団としのぎを削るタイガースの勇姿を是非ともテレビの前で
熱く応援したかったのですが、今年の成績ではそれは適いません。
今年の秋は長い夜になりそうですね。
実は今日、10月2日はそんなタイガースの記念日に当たる日です。
今日はそんな『阪神タイガース記念日』(下記のサイト上では『阪神タイガースデー』と
なっています)を紹介します。
『阪神タイガース記念日』
1985(昭和60)年のこの日、日本シリーズで阪神タイガースが西部ライオンズを破り、
2リーグ分裂後、初の日本一になりました。
タイガース後援会などが中心になり、この日を制定。当時は吉田監督以下、掛布、バース
などの猛打者が活躍しました。
(http://hukumusume.com/366/kinenbi/pc/11gatu/11_02.htm)
うわ~古い話!今やこのくらいの年に生まれた選手がプロ野球で活躍する時代です。
この記念日がどれほど昔のものか、よく解りますね。
因みに2003年の年を表す一文字漢字は『虎』でした。この年は、タイガースが見事18年ぶり
の優勝を成し遂げた年なのですが、その『記憶』が人々の頭から薄れ、単なる『記録』として
データや映像に残るようになるまでに是非もう一度、リーグ制覇、そして一位通過での悲願の
日本一をみたいものです。選手、監督、スタッフを含め、来年のタイガースというチームの
躍進を期待します。
切れかかってる!
今日、『由良日記』のページを開いてくれた人、ページのデザインを少し変えてみたのですが、
どうでしたか?ずっと同じデザインのページを使っていたので、少し、ページの背景を変えて
みたら面白いのではないかと思い、職員さんにお願いして変更してもらいました。
さて、今日のブログには、まさに今日起こったことを書こうと思います。
今朝、家を出るとき、電動車椅子に乗ってスイッチを入れようとすると、スイッチが入った
ままになっていることに気がつきました。どうやら、スイッチの切り忘れらしく、この状態で
帰ってくるまでバッテリーが持つのだろうか、と心配になり、残量を確認したところ、
『フル充電』を示す緑、黄色、赤の五つのランプがすべて点いていたので、これなら大丈夫
だろうと思い、家を出ました。
ところが、最寄り駅に着くころ(自宅から歩いて10分位です!)『ピピピピ』とバッテリー切れ
直前の電子音が…残量を確認してみると、先ほどは全て点いていた筈のランプが赤色一つ
を残した状態で点滅しています。やはりスイッチの切り忘れが原因か!と思いましたが、
後の祭りです。
しかし、幸いにも、俺の電動車椅子は、電動、手動、どちらでも動かすことが可能なので、
最寄り駅のホームへの移動から地下鉄竹田駅のホームまでは何とか自力で頑張ろうと
思い、車椅子のレバーを『手動』に切り替えて駅構内を移動してきました。
そして、地下鉄竹田駅からエレベーターで地上に上がり、ここから最後の電力を振絞って
『電動車椅子』に活躍して貰います。
ただ、心配なのはバッテリーの残量です。バッテリーが切れて『彼』が停止するときは
突然です!機械が相手なので、もちろん『精神論』は通じません(笑)加えて『室内』での
移動よりも、『室外』での移動のほうが『彼』や『彼』のバッテリーにかかる負担は明らかに
大きいはずです!そういった状態で『彼』に取り付けたバッテリーがバテルことなく、
『ピースフルリンク』までたどり着けるのか、とても心配でした。
最悪『彼』のバッテリーが停止した場合は、室外を手動でこいで行かなければならず、
これは結構しんどい作業となります。バッテリーが尽きると、『彼』は本当にいきなり
停まります。
もちろん乗り手に許可など求めません(笑)そんな状態なので、無事に『ピースフルリンク』
に着けた時は、正直ホッとしました。やはり普段からある程度は自力でこぐようにしない
とまずいですね。それにしても…最近バッテリー切れが早くなったなぁ、とつくづく思います。
カラオケ文化の日
突然ですが、皆さんは自分が声変わりをしたときの事を覚えていますか?俺は中学二年生位に声変わりを経験したのですが、それまでは高い声、低い声を問わずにいろんな声が出せていたのに、声変わりが始まって“野太い声”しか出せなくなり、一時歌を歌うのが嫌になったことがありました。最も時間がたってこういった現象に慣れた今ではこんなもんだなあと思うようになりました。
さて、今日こんなことを書いたのは、本日10月17日が『カラオケ文化の日』だからです。下記に詳細を記載します
『カラオケ文化の日』
これは全国カラオケ事業者協会が定めたもので、同会が1994年10月17日設立されたことを記念するものです。この協会はカラオケ機器の販売やレンタルなどをしている業者で構成されています。「カラオケ」とは「空(から)」と「オーケストラ」から合成された言葉で、オーケストラ演奏のみで、歌が空っぽであることを表します。音楽の世界ではこういうものは一般に古くから歌や楽器の個人練習用に作られ「マイナス・ワン」と呼ばれていましたが、1970年代に、通常のレコードから電気的に歌を消去してしまう装置が開発され、「カラオケ」の愛称が生まれて、歌のマイナス・ワンは普及していきます。設備的にも最初の段階ではテープであったのが、その内VHDやレーザーディスクが使われるようになって、映像付きが当たり前になり、現在は通信回線を使いMIDIでリアルタイム配信するシステムや、有効期限付きのデータをダウンロードして使うシステムが盛んに使用されており、新曲がすぐにカラオケで歌えるようになってきました。またカラオケを歌う場所としても、初期の段階では旅館やスナックなどの設備でしたが、その後安くなってきたことから家庭でも装備する人たちが出てきて、1980年代になると、郊外にカラオケ専門のカラオケ・ボックスが登場、そして最近ではジャングルとか異国の王宮などをモチーフにした色々な雰囲気の部屋が用意されたカラオケ・ボックスが都心に多く作られるようになりました。
(http://www.ffortune.net/calen/kinenbi/10/karaoke.htm)
簡単な解説ならば、他のHPにも書いてはあるのですが、こちらのHPには カラオケ自体の由来や、歴史が書いてあったため、大変興味深く、 全文を持ってくることにしました。 結構面白い内容かと思います。因みに俺自身も大学時代の友達と年に数回 集まってカラオケに行きます。 しかし、冒頭に書いた“声”の影響で、サビのあたりの音域がうまく出せず、 声が裏返ったり、潰れたりします。 『君は胸式だから腹式で歌いなさい』と言われたこともあるのですが、 何をどうしたら『腹式』で歌えるようになるのか、分かりません。 正直カラオケの翌日は喉が痛いです! 音程にあまり変動がなければ“そこそこイケル”訳ですが、大抵の歌手、 グループの曲はサビになると音域が急激に上昇するため、 ついていけません(笑) アーティストの皆さん、一般人はプロの歌手ではありません。 声や歌の練習をしているような人等ごく一部かと思います。 広く“国民に愛されるような歌”とは、その要因の一つに“歌いやすさ” があるのではないかと思います。 もう少し音域の変動が少ない曲をリリースしてもらえれば、 俺も自信を持ってカラオケにいけるのに…そう思わずはいられません。
かごめかごめ
最近はワードと編集作業の両立で、なかなか更新が出来ず、『ネタ集め』の習慣も消えつつあったのですが、今日、久々に『由良日記』を書こうと思い、『ネタ集め』のためにパソコンをいじっていました。その結果として、『かごめかごめ』という唄の歌詞について、その由来の仮説となる一つの解説を見つけたので、そのことを書こうと思います。
かつて俺が子供だった頃、大勢の子供で集まり、唄を歌いながらその唄に合わせて皆で遊ぶ習慣がありました。先日紹介した『花いちもんめ』もその一つです。しかし、『花いちもんめ』の歌詞に実は恐ろしい由来があることは、既にこの『由良日記』に書いたとおりです。今回紹介する『かごめかごめ』という唄も例外にあらず。歌詞の解釈によってその説は色々ですが、不気味なものが沢山あります。
今回はその説の一つを紹介しようと思いますが、その前にこの唄の歌詞を書いておきます。
かごめかごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀が滑った
後ろの正面だあれ
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%94%E3%82%81%E3%81%8B%E3%81%94%E3%82%81)
というように、何ともよく解らない、それでいてなんだか不気味な唄なのですが、俺が見たHPの解説の中に下記のような内容のものがありました。ここではそのHPの解説に基づいてこの歌詞の謎の意味を解釈したいと思います。
まず、一行目の『かごめ』…これは『籠女』つまり、『入れ物としての女性』=『妊婦』を意味します。
さらに『籠の中の鳥』とは、『お腹の中の子供』、そして『いついつ出やる』という歌詞と組み合わせると、『お腹の中の子はいつ生まれるのか』という意味になるらしいです。
続く『夜明けの晩』とは『この世ではない場所』、つまり『あの世』という意味らしく、『鶴と亀』とは『めでたいこと』の象徴を意味し、それが滑るとは『不吉の象徴』の事、この場合は『死産』を意味するそうです。
そして、『後ろの正面だあれ』=『あなたが後ろを振り返れば死産の子供にがおり、その子供にあの世まで連れて行かれるから絶対に振り向くな』となります。
要約すると、『あなたの後ろには、死産となった子供の霊が取り憑いています。もし振り返れば、その子供にあの世まで連れて行かれてしまう可能性があるため、絶対に振り返ってはいけませんよ』
(http://homepage2.nifty.com/amamiyan/kagome.htm)
とこんなところでしょうか?恐ろしい唄ですね。
ただ、これはたくさんある説の一つであって、この解釈が本当に正しいかどうか、それは解りません。しかし、わらべ歌の由来等を調べてみると、このような恐ろしい説が次々に出てきます。興味のある人は、童謡の名前の後に空白を入れて『由来』と入力し、検索をかけてみてください。想像を絶する恐怖を発見できるかもしれません。
3DSの販売伸び悩み
さて、この『由良日記』も実に数日振りの更新となります。今朝、新聞をめくっていると、ある記事が目に入ったので、俺からの提言!?も含めてそれを紹介します。まずは下記の記事の内容をご覧下さい。
『3DS、再起へ新ソフト』
任天堂は13日立体(3D)映像が楽しめる携帯型ゲーム機「ニンテンドー3DS」の新商品発表会を東京都内で開き、年末から来年にかけて発売する新作ソフト33本を紹介した。3DSは2月の発売後思うように販売が伸びなかったが、8月11日の値下げとソフトの大量投入で年末商戦での巻き返しを図る。
33作品は「スーパーマリオ」など任天堂製が半分を占めたが、目立ったのは「メタルギアソリッド」「バイオハザード」といった他社製人気シリーズの充実だ。任天堂の岩田聡社長は「過去に例がないくらい充実したラインアップがそろった」と自信を見せる。
3DS本体も女性利用者を増やそうと、4色目となるピンク色の機種も10月20日に投入。既存の機種もソフト更新で立体動画が取れる機能を加える。
3DSは3月末までで106万台が国内で売れたが、4月~6月は21万台。2万5千円から1万5千円に値下げした8月の第2週は約21万台まで伸びたが、直近は5万台程度に落ち着いている。
(9月14日朝日新聞朝刊より一部抜粋)
どうですか皆さん、疑問に思うことはありませんか?俺は大いにあります。
まず、第一にDSに3Dによる効果は必要でしょうか?立体映像がなくてもゲーム自体が面白ければお客さんはゲームを買ってくれるのではないでしょうか?なぜ3Dに拘るのでしょう?そもそもゲームに3Dが取り込まれたのはここ数年の話で俺が子供の頃はゲーム画面などは平面が当たり前でした。
第二に、ゲーム機本体のこの移り変わりの速さは何でしょうか?つい数年前までPS2やDSといった機種がゲーム機の主流を占めていたのに、現在はwiiと3DSに取って替られ、ほかのゲーム機のソフト販売のCMをほとんど見ません。
第三に一万円値下げしてもまだ儲けが出るようなゲーム機本体の高価格。こんなものをゲーム需要の高そうな学生さんや子供さんが買うには経済的な負担が大きいように思います。
そこで、こんな案を考えたのですがどうでしょう。
まず第一に、ゲーム機本体は極力作らない。
一番お金の掛かりそうなのが、ゲーム機本体の価格ですから、一つのゲーム機で、長く、いろんなソフトを遊べるようにする。
第二に沢山のソフトを長期間遊べるようにする。
ゲーム機本体をあまり製造しない代わりに『専用ソフト制』を取りやめにし、今在る全てのゲーム機で全てのソフトを遊べるようにする。
第三に『ゲームソフト』の大量生産
今在る全てゲーム機に、これまでに発売されたゲームソフト、又は、これから開発されるゲームソフトを対応させ、ソフトを大量生産して、販売することで、ソフト制作に係わるコストや販売価格をなるべく引き下げる。
こうすればいちいち高いお金をかけてゲーム機本体を購入する必要がなく、さらに、これまでに購入したゲーム機で誰でも色々なソフトを遊ぶことが出来、『役立たず』なゲーム機もなくなります。そして新型ゲーム機をしょっちゅうを作らなくていいので、開発費用も浮くのではないでしょうか?
ソフトは多少高くなるかもしれませんが、ゲーム機本体を直接購入することを考えれば、随分安いはずです。技術的にあるゲームソフトの中身をあるゲームソフトに移植するのは可能ですし、やってやれないことはないはずです。
もしこの方法を実行することが出来れば、実質かかるのはゲームソフト代だけとなり、お客さんがゲームに負担しなければならないゲーム代が抑えられるだけでなく、どれか一つのゲーム機さえ持っていれば、様々なゲームソフトで遊ぶことが可能です。
そして、新型ゲーム機を頻繁に開発しなくてもいいのなら、その分の費用の大半はゲームソフトの開発にまわすことが出来るので、ゲーム自体の質が低下することもないのではないだろうかと思います。
どうでしょうか?いずれにしても、子供さんや学生さんがゲームを購入して遊ぶことを考えれば、ゲーム機本体だけで何万円もする今の価格では手を出しづらいと思いますし、どうせ新しいゲーム機を買っても、また新型のゲーム機が発売されてしまえば、古いゲーム機は使えなくなるだろうというような不満はお客さんの側にも大なり小なりあるのではないかと思います。ゲームソフトとゲーム機本体、その二つで儲けようとするのは、さすがに欲張りすぎのような気がします。